2010年8月に行われた8回目の離婚調停によって、ようやく離婚が成立した私たち。2010年の年初めに離婚調停が始まって、この8か月もの間は神経をすり減らし、体調を崩していた時期でもあったので、体力的にも、精神的にも非常にしんどい期間でした。それもようやく終わったという安ど感がありました。離婚調停の場で決められた養育費を5万円振り込むこと・子供をお互いに毎月一回会わせることなどを書面で交わしたため、法的な拘束力もあります。そして迎えた最初の養育費の振り込み。私は5万円を振り込みました。この後も毎月給料日前後には必ず養育費を振り込んで、次男が生活するうえで困らないようにしています。
また、8月末には次男との面会交流のため、待ち合わせの場所へ。次男のリクエストで釣り堀に出かけることになりました。このころ次男は釣りにはまっていて、釣った魚をさばいてもらって、食卓に並べていたようです。あの面倒くさがりな元嫁も少しは変わったのかな?と思いましたが、その思いは一瞬のうちに打ち砕かれました。次男を連れて帰って、元嫁に引き渡して家に息子と一緒に帰った私。夕食は3人で食べたので夕方6時過ぎに連れて帰ったんですが、次男と一緒に過ごしている間、心配をかけるかもしれないと思って、小まめに連絡を次男にさせていました。そして、家に帰ってすぐに元嫁から電話がありました。「あんたのせいで養育費が5万円しかもらえんようになった。どう責任を取ってくれるんか?」というものでした。養育費の額もお互い納得して話し合いをして決めたわけで、5万円は私が支払うことのできる上限額なわけで、これ以上増やすことは不可能な状態でした。そのことをまた蒸し返してくるので、私は「お互い納得して決めたことじゃろうが。それを口約束だけじゃなく、書面でお互い納得したうえでサインしたんじゃろうが。何をいまさらがたがた言ってんだよ」と言い返すと「私はね、狭心症を抱えていてフルタイムで働くことが出来んのんよ。それをあんたは承知の上で放り出したよね。それで養育費が毎月たったの5万円?ふざけちょるよね」など言ってました。いい加減頭にきた私は「そういうことを言うんじゃったら、もう1回離婚調停をやり直すか?今度は俺がお前を被告人として訴えてもいいんやぞ」というと、流石に文句は言わなくなりました。離婚調停で決まったことにまで文句を言ってくる元嫁。狭心症を抱えていると言っても、フルタイムで働けないとは、元嫁を診察に連れて行ったときに、看護師の方は一言も言わなかったです。まぁ、考えが甘っちょろいんですよね。