sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録離婚調停編

 4回目の離婚調停が終わって、仕事の期限付き応援に伴う異動や、調停の時のプレッシャーなど、常に強いストレスを感じていた私。体全体を覆う疲労感と、繰り返される下痢。本当、この時の体調は満身創痍といった感じでした。応援で移動した先の職場は夜勤があり、ただでさえ乱れている体内時計が余計に乱れてしまい、夜勤が終わって眠たいはずなのに、家に帰っても寝付けないという状態が続いていました。
 なかなか下痢が治まらないので、病院で処方された整腸薬を服用して、出勤する毎日でしたが、それでも治まらない状態が続いていました。元嫁から見れば、持久戦に持ち込み、子供二人分の親権を確保して、私から子供二人分の養育費・子供手当・息子に支払われる療育手当・母子手当を手に入れるように考えていたのかもしれませんが、私も特に息子の親権は絶対に譲れない。もし息子の親権が元嫁にわたってしまうと、息子の人生をめちゃくちゃにされるという思いがあったので、最低でも息子の親権だけは確保しなければ。そういう思いがあったのは確かです。でも、裁判所に行くたびに味わう極度の緊張感・そして精神的な疲労などもあって、ギブアップしようかと思ったときもありました。
 でも、この当時週一のペースであっていた子供たちのことを考えると、どうするのが子供たちにとってベストなのか、考えてました。そして、私が迷っているときに息子が発した言葉が「帰りたくない・お母さん嫌だ」でした。次男に聞いても母親に気を使っているのはわかっていたので、正直なことは言いづらいと思っていましたが、恐らく私の監視の目が行き届かない中で、息子に対する虐待行為が行われていたんだろうと思います。事実、同じアパートに住んでいる私の同僚が「お前のもと奥さんの住んでいる部屋から、しょっちゅう子供の泣き声が聞こえる」という話も聞いていましたので、何らかの理不尽な行為が行われていたのではないかと思います。
 そうして迎えた2010年ゴールデンウィーク。祝日は学校が休みなので、息子が私のところで寝泊まりすることになりました。そして、息子と一緒に風呂に入ると、太もも付近にできたばかりと思われる、ひっかき傷が残っていました。このことを息子に聞くと「お母さん・僕をひっかいた」と言ってました。私はそのひっかき傷を5回目の調停の時の証拠として提出するため、写真に写して残しておきました。そして迎えた5回目の調停。私が写した息子の太ももについていたひっかき傷を証拠として提出すると、意外とすんなり、自分がつけたと認めた元嫁でした。