sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録統一教会編

 2008年の正月で両親宅に帰った私。確か1月2日に両親の家を出て、熊毛の実家のあいさつに行ったのではなかったかと思います。子供たちを連れて両親の家から熊毛の実家まで、国道2号線を利用しておよそ2時間。子供たちは車の中で遊び疲れたのかどうかはわかりませんが気持ちよさそうに寝息を立てていたのを覚えています。子供たちの無邪気な寝顔を見ていると「何とか、子供たちが安心して暮らせるようにしてやりたい」そう思っていた私ですが、現実は元嫁との私に対する激しい暴言などのDV ・学校や幼稚園との間で繰り返されるトラブル・隣近所との確執や軋轢・私の両親や姉や妹・親戚との絶えることのないトラブルに悩まされ続け、その結果症状の重い睡眠障害を発症し、躁鬱状態にあるという診断が出された私。そんな私の支えになっていたのが、子供たちの存在でした。どんなに心が疲れていても、仕事が終わって家に帰ると元気よく「お帰り〜」と言って出迎えてくれる。それが私の元嫁との生活の中で、唯一の救いでした。心の中に重たいものを背負い込んでいても、子供たちとの会話の中で、少し解放されていたような気がします。
 
 熊毛の家についておせちをいただきながら子供たちが外に遊びに行ったところで、熊毛の母が口にしたのが、やはり元嫁が本当に統一教会を脱会したのか?ということでした。私は元嫁の携帯電話に統一教会防府支部の幹部から電話があったこと・吉岡や長岡たちと密に連絡を取り合っていたこと・カーナビの走行軌跡から、元嫁が統一教会の近くに頻繁に出かけていることなどを伝えると「やっぱり簡単には抜け出せんのじゃね」などと言っていました。熊毛の父は「もうあんなやつを嫁とは認めん。籍も抜いてもらえ」などと言っていました。熊毛の父は元嫁が私と婚姻関係にあるかぎり、これまで先祖が築き上げてきた財産や信用がすべて奪われてしまう。そして、私の人生そのものもダメになってしまう。そのことを心配していました。
 私は熊毛の父には「もう二度とこの家の敷居を元嫁がまたぐことはないから」と伝えておきました。そんなことを伝えて、熊毛の家で一日泊まって、家に帰ったのが3日の夕方だったと思います。大みそかから正月三が日の間は元嫁とは顔を合わせることがなかったので少しだけですが、息抜きができた私です。