sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録統一教会編

 2006年も暮れて、2007年を迎えた私たち。私は元嫁と同じ空気を吸うのがいや、同じ空間にいることが嫌で、どこかに子供たちと出かけていることが多かったですね。私の実家とか、熊毛の家とか、お邪魔しても差しさわりがないようなところに行ってました。しかし、元嫁と一緒に生活をしている以上、新年のあいさつ回りにはいかなくてはならないわけで、元嫁もつれて、小野田の叔母の家に行くことになりました。私は小野田の叔母がとっても自慢しいなので、あまり好きではなく、どちらかといえば関わりたくない人物の一人でした。小野田の叔母は自分が、徳山駅前にあった近鉄松下百貨店に就職していたというのが、ものすごい自慢で、自分の子供も技術職としてNHKに入局したとか、娘はいいところにお嫁に行ったとか、そういう自慢話ばかりを聞かされてました。その叔母にとっては、次男が小さい頃からサッカーを習っているということがたいそう自慢で、「智子の子供は、サッカースクールに通っていて、県大会でも何度も優勝してる」というのを隣近所に自慢していたそうです。次男がサッカーを一生懸命頑張って、次男の所属するチームが何度も優勝を重ねているというのは、私としてもうれしかったですし、誇りに思ってました。しかし、それを自慢げに話すのはどうかと思っていたので、私は結果だけを伝えていたんですが、元嫁と同様、妄想の激しい叔母は「次男が活躍したからに違いない」という風にとらえていて、「サッカーはチームでやるスポーツなんだから、次男ひとりの力で勝てるものではない。だから自慢するのはやめてくれ」と私は何度も言ったんですが、そのことは全く耳に入っておらず、私がやめてくれと言っても同じことを繰り返していました。
 私は次男に対しては、「試合で勝つことは大事。でも、もっと大事なのは負けた相手のことを思いやる気持ちと、チームメイトを大切縫い思う心だ」そういう風の教えていたので、次男をだしにして隣近所に自慢をするのはやめてほしかったです。
 それと、もう一つ小野田の叔母が私を悩ませていたのが、息子に対する接し方。次男が訪れたときは、とっても嬉しそうな顔をするんですが、息子が行くと、「あんたが何でここにおるんか?・何しに来たんか?」そういう言動を息子や私に対して発していることでした。できれば息子の存在を認めたくない。小野田の叔母にとってかわいいのは、次男だけであり、息子はできるものなら関わりたくない、厄介者な存在というのが小野田の叔母の本音だったようです。そんな小野田の叔母の様子を息子も感じ取っていて、小野田に行くと伝えると、表情がこわばるのが手に取るようにわかるくらい、表情を曇らせてました。そして、おとしだまでも、二人の子供が遊びに来たのなら、公平に同じ金額を渡すのが普通だろうと思うんですが、名前の書かれたポチ袋を私が預かって、息子と次男の郵便局の口座に入金すると、息子には少なく、次男には多くのお年玉が渡されていました。小野田の叔母にとって、まさに息子は、目の上のたん瘤。邪魔な存在でしかなかったようです。ある意味、元嫁が次男だけをかわいがり、息子のことを邪険に扱うのも、無理はないなと思った私です。