sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

大川小学校の悲劇を忘れない。賠償請求の判決出る


 2011年3月11日に発生した東日本大震災。各地に甚大な被害をもたらし、今も大きな爪痕を残しています。そして、津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられたのが、宮城県石巻市立大川小学校での悲劇でしょう。震災が発生してから、市の防災無線や市の広報車が、巨大津波が迫ってきているという、緊急のアナウンスを繰り返し流していたにもかかわらず、当時学校にいた児童や教職員は避難する行動をとっておらず、川べりにある小高い場所に避難を開始した直後に津波に飲まれて、多くの児童と教職員が犠牲になる悲劇が起きました。
 その大川小学校で犠牲となった児童の保護者たちが、石巻市宮城県を相手取って起こした損賠賠償請求の裁判の判決が今日仙台地裁で言い渡されました。犠牲になった23人の児童の遺族が、県と市を相手取って、23億円の損害賠償を求めたものですが、高宮健二裁判長は県と市に14億円の支払いを命じる判決を言い渡しました。

裁判では、学校側が津波の到達を予想できたかや、避難先の選定の是非などが争点になっていました。市などは、津波の到達の予見は困難だった、などと主張していました。今日の判決で高宮裁判長は、市の広報車が小学校近くへの津波の接近を伝えていたことなどを指摘。到達は予見できたとしました。また、避難先としても、学校の裏山に非難しなかったことを過失と認定しました。

判決を受け、石巻市の亀山紘市長は記者会見し、「大変重く受け止めている。控訴するかどうかは、県と話し合いながらできるだけ早い段階で結論を出したい」と述べました。宮城県村井嘉浩知事は「犠牲となられた児童の皆様のご冥福をお祈り申し上げる」などとコメントしました。今後の対応は市と協議するとしています。

地震が起こって、揺れが収まった後すぐに学校の裏山に避難していれば助かったかもしれない沢山の命。誰もが経験したことのない激甚災害であったことから、現場は混乱していたのかもしれませんが、こういう時こそ、冷静さと沈着さが求められるように思います。地震発生から津波到達までおよそ50分の時間があったわけで、もっと早く逃げていたら…。と思うと無念ですね。

この大川小学校は避難指定場所に指定されていたそうで、ここまで津波は来ないという、誤った意識が働いていたのかもしれません。たとえ空振りだったとしてもいいので、こういう時は少しでも高いところ、海から遠く離れたところに逃げるのが重要なのではないかと思います。この大川小学校の悲劇を決して風化させることなく、語り継いでいってほしいと思います。そして、改めて犠牲になった児童の皆さんのご冥福をお祈り申し上げます。