sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録統一教会編

 箱根に行ってまで、元嫁の文句に付き合わされる状態が続いていた私たち。富士五湖を巡った翌日は、横浜中華街に行こうということで、車で行くと渋滞にはまって動けなくなる恐れがあるので、最寄り駅の箱根登山鉄道強羅駅まで車で出た後、箱根登山鉄道JR東海道本線と乗り継いで、いったん東京駅まで出た後、東京駅からJR京浜東北線根岸線に乗って関内駅で下車。
 箱根登山鉄道も、夏休みの観光シーズンということで、大勢の乗客でにぎわっていましたが、私たちは始発駅から乗ったので、一番眺めのいい先頭車両の一番前の席に座ることができました。この鉄道は、急カーブと急こう配が連続する山岳鉄道で、スピードも非常にゆっくりした速さなので、じっくりと景色を楽しむことができます。強羅から乗車して、およそ40分ぐらいの間、線路わきに咲くアジサイの花や美しい深緑の山を眺めながらの鉄道の旅は、なかなかいいものでした。
 箱根湯本で一旦乗り換えて小田原で東海道本線に乗り換え。小田原始発の電車を選んで乗車し、一路東京へ。小田原を出て、平塚や大船・横浜と停車していくたびに乗客が増えてきて、東京に着くころにはかなりの混雑になっていました。そしてそれに比例するように、元嫁の機嫌が悪くなっていきました。それは「こんなに混雑するようなものに乗せやがった」というものでした。「あんたね、あんなに混雑すると分かっててよくも私を電車に乗せたね」などと言ってました。正直、「また文句かよ」と思っていましたが、電車の車内ということもあり、私は知らん顔をしていました。そして電車が東京駅について、いったん下車して、京浜東北線の乗り場に行く途中で「あんなに混むんじゃったらついてくるんじゃなかった」などと言い出したので、私も頭にきて「じゃあ、とっとと帰れよ。俺もお前なんかおらんほうが清々するわ」といったので、それに腹を立てた元嫁が「わかったわよ。帰ればいいんじゃろ帰れば」というので、「あぁ、とっとと帰れ。ただな、東海道本線も、京浜東北線も、山手線も、横須賀線も、東海道新幹線も、小田急電鉄も、京王電鉄も、東急電鉄もみんな西に向かって出発するから、気を付けて帰れよ」と嫌味を込めて言うとさすがに自分一人で帰ることはできないと思ったのか、「一人で帰れるわけないじゃん。どうやって帰ったらいいのかわからんし」などと言ってました。「だったら文句を言わずに黙ってろ」と一喝して、京浜東北線の電車に乗り込んで、横浜から根岸線に入って、関内で下車。ここから中華街までそんなに離れていないので、歩いて中華街に向かった私たち。いろいろとおいしそうな食べ物やお土産などが売られており、私たちは宿舎で食べるのに、月餅を4個とお土産にいくつかのお菓子を買った後、昼食を食べに中華レストランへ。子供たちも普段はあまり食べることの少ない中華料理が沢山あるので、何を食べようか、迷っているようでした。何を食べたかまでは覚えていないんですが、中華街の雰囲気を堪能して、再び関内駅に戻って、根岸線の電車で大船まで出た後、東海道本線の電車に乗って小田原へ。さすがに途中駅から乗ったので、座席に座ることができずに、しばらくの間立っていると、私たちを見たおばさん二人が、「僕たち座っていいよ」と言ってくださったので、子供二人を座らせて、次男は座席を譲ってくださったおばさんとお話をしていました。中華街に行ったことや、山口から来たことなどを話していました。そのおばさんとは小田原で別れて、箱根登山鉄道の電車に揺られて強羅に戻って、宿舎に戻る途中の車の中で私は「おまえな、電車の中でギャーギャー文句をたれるんじゃねーよ。恥ずかしいと思わんのか。いい歳こいた大人が情けない」と怒りを込めて叱り飛ばしてやりました。「だってあんなに混むとは思ってなかったもん」というので、私は「あのな、東京に近づけば近づくほど混むのは当たり前じゃろうが。そんなこともわからんのか。このボケたれが」というと、「そこまで言わなくてもいいじゃん。」というので、「お前のせいで俺や子供たちがえらい恥をかかされたよ。お前はもう二度と、俺たちと一緒についてくんな」と言って、宿舎に到着。そして実際に、この後、私たちがどこかに出かける時も、元嫁を連れていくことはなくなった私です。