sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録統一教会編

 夏休みが近づいてきた2006年7月。この年は私の勤続15周年の記念として、一週間のリフレッシュ休暇が与えられていたので、子供たちが夏休みに入ったら、箱根方面に車で出かけることになっていました。ネットで、どんな所か調べたり、何日にどこに行くとか、細かい計画を子供たちとたてたりしていました。そんな7月に入って間もない3日の連絡帳への書き込みです。元嫁が書いています。このころから連絡帳への書き込みがぐっと少なくなり、ますます統一教会にのめりこんでいった様子がうかがいしれます。

7月3日
お世話になります。連休は割とのんびり過ごしました。父と車屋さんに行ったり、パン屋さんに行ったりしました。家の中では兄弟でにぎやかに過ごしました。遊んだり、つついたりしてました。

と書かれてありました。子供たちが二人でおとなしく何かやってるなぁ。と思ったら、兄弟で悪戯をしている…。なんてこともよくありました。子供たちがパソコンを置いてあった部屋でおとなしく、何かをやっているのでそーっと戸を開けて覗いてみると、私が持っている鉄道模型を出しては、線路を敷いて手で持って走らせてたこともありました。私が子供たちをびっくり驚かせてやろうと、「ワーッ」と大きな声を出して子供たちめがけて突進していくと、子供たちは「キャーッ」と大声をあげてびっくりしてました。子供たちが驚く姿を見るのが楽しくて、私も時々こういった悪戯を子供たちに仕掛けていたんですが、子供たちもまんざら嫌じゃなかったみたいで、「いつお父さんが来るかわからない」というスリルを楽しんでいたようでした。

そして、このころ、次男の水疱瘡が治ったと思ったら、今度は息子に移ったみたいで、息子が今度は学校をお休みすることになってしまいました。このときはまた、統一教会と息子の世話とどっちが大切なん化ということで揉めたんですが、私が「ちゃんと子供のことを見てやれ」と言い聞かせてそれに従うといっていたので、私も信用して仕事に行ったんですが、仕事から帰ってきたら「あんたが水疱瘡なんかにっかるから教会に行かれんようになったじゃないの。あんたがおるから私が我慢せんといけんのんよ。わかっちょるんかね?もういい加減私のことを苦しめんでよ。」などと息子に対して罵声を浴びせているのが聞こえたので、私が車から降りて、急いで玄関に向かうと、鍵が外からは開けられないようにロックされた状態になってました。次男はロックの解除の仕方を知っていたので、次男を呼んで玄関を開けさせたんですが、次男も元嫁の剣幕に驚いた様子で、動揺しているのが見て取れました。まずは次男を抱っこしてやって落ち着かせて、息子のところに向かうと「こんな役に立たん奴は生きてたってしょうがない。さっさと死んでしまえ」などと暴言を自分の子供に対して吐き捨てるので、自分を否定されることの辛さを身をもって経験してきた私は、元嫁の言動がどうしても許せず、今起こっていることを山陽小野田市の元嫁の叔母にも知ってもらう必要があると思い、電話をかけて私が、今元嫁が行ったことをすべて話すと「元嫁と変わってくれ」というので、私が元嫁を呼びだして「小野田の叔母さんが話があるからちゃんと聞け」と言って電話に出させました。小野田の叔母からは当然激しい雷が落とされました「自分の子供に対して死ねっていう親がどこの世界におるんか」などと言われたようです。説教は延々1時間くらいは続いたでしょうか。小野田の叔母の説教が終わると、私が「お前な、自分の子供に対して死ねっていう親がどこの世界におるよ。お前は自分が親から死ねって言われたら、どんな気持ちになるのか、わからんのか?そんなことも考えられんのか。俺の子供に、死んでいい子供はだれ一人おらん。それだけはよく覚えとけ。今度同じこと言ったら、お前が統一教会に狂ってるってことを全部ばらす。」それだけ告げて、子供たちと一緒に風呂に入った私です。

※このシリーズで、何が私の身に起こったのか、事細かに書いていますが、それはすべて日記として私が書いたものをもとに構成しています。