sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録統一教会編

 春休みになって私の実家や熊毛の家に行くことも増えた春休み。終業式が終わった後、4人で私の家に行ったことがあるんですが、次男は「ジーちゃん、バーちゃん。僕ねぇ、幼稚園お休みせずに行ったよー。」というと「よく頑張ったねぇ~偉いねぇ~。」とほめてもらって嬉しそうにしていたのをよく覚えています。そして、年中からは河合楽器主催のサッカークラブに入団することも伝えて、「僕ねぇ、一生懸命頑張るよ~」と話していました。次男が入団することになったサッカークラブは、毎週木曜日の幼稚園が終わった放課後に、次男が通っている幼稚園に集まって、一緒に練習していたんですが、次男が入団することになったサッカークラブは、毎年、6月・10月・2月に行われる河合カップ山口県幼稚園サッカー大会の優勝の常連チームで、県下でも強豪チームとして知られる名門チームでした。実際、次男が入団した後、幼稚園を卒園するまで6回、この大会に出場したんですが、このうち優勝4回・準優勝2回という成績を残しました。
 このころから次男は本格的に体を動かすことに興味を持ち始めて、すぐにレギュラーを獲得し、主にディフェンダーとして練習や試合に出場してました。
 そして息子も学校の先生にお世話になりながら、一年間を無事に過ごして、3年生に進級することができました。このとき、息子を受け持っていただいた、支援学級の先生が異動されることになり、元嫁が離任式に息子を連れて出席しました。息子を受け持っていただいた先生とは、元嫁との間で激しい対立があり、先生のことを『これでもか』っていうくらい罵声を浴びせることも多かったです。先生は障害児教育のプロとして、息子を見ていただいてましたが、元嫁とちょっとでも意見が合わないと、元嫁は怒りの矛先を支援学級の先生に向けていました。そして散々ぼろっかすに文句を言っておきながら、翌日になると『先生、今日も息子のことをよろしくお願いいたします』と、何事もなかったかのように、ケロッとした顔でいうので、先生も内心は元嫁に対して不信感を抱いておられたかもしれません。
 私の両親が「あれだけの文句を言うんだったら、もう二度と世話にはならないっていうくらいの覚悟がないと、普通ならいえんよ」とよく言ってましたが、それは確かに言えてると思います。先生に対して「このくそ役立たず」「本当に障害児教育のプロなんか」などと罵ってましたし、臨時で市のほうから派遣されていた先生に対しても「先生は、本当の先生じゃないですよね。だったら私たちに対して、偉そうなことを言わないでくださいね」などと言っていました。そしてそのことを聞きつけるたびに、私は下げなくてもいい頭を下げて、謝罪していました。 
 元嫁が先生を激しく罵って、息子のことを受け入れてもらえなくなると、誰が一番困るのか考えたら、ちょっと気に食わないところがあったからといって罵声を浴びせるよりも、どうしたら息子が学校という共同生活の場で、楽しく、明るく、元気に過ごせるかを考えるほうが重要だと思っていましたので、そのことを繰り返し繰り返し、元嫁に言って聞かせていたんですが、結局は、私の忠告を聞き入れることはないまま、新たに赴任されてきた先生とも、激しい対立を4年間にわたって続けていくことになります。
 
 このことについて私は一度、精神科の先生に元嫁の言動や、日ごろの子供との接し方などをはなしたことがあるんですが、精神科の先生の話では『恐らく幼少期の人格形成に、大きな問題があったのではないか』と話されていました。そして私が『幼少期の頃から、元嫁の母親が、父親のことを馬鹿にして、毎日のようにヒステリックに罵声を浴びせていた』ということを話すと『それを毎日見ていたわけですから、奥様にとってはそれが当たり前の日常だったんでしょう』ということでした。この話を聞いたとき『やっぱり幼少期の人格形成に問題があったか…」と思った私です。幼少期に、毎日のようにヒステリックに父親に罵声を浴びせる母親の姿を見ていたわけですから、そんな母親からまともな教育を受けられるわけがないと思った私です。だから自分の祖父に対しても『さっさと死ねこのくそじじい」「お前がいつまでも生きているから、私が迷惑を被るんじゃろうが」そんな、自分の祖父も大切にできない人物が、自分の子供。特に知的障害を伴う自閉症という障害のある息子に対して、愛情を注いで育てるわけがないなと思った私です。