sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

あの日を忘れない…東日本大震災から5年

 2011年3月11日午後2時46分、東北太平洋沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、最大震度7を観測し、東北、関東地方の太平洋沿岸を中心にして巨大津波が襲来し、各地に甚大な被害と、深刻な福島原発事故を引き起こしました。あの大災害から今日で丸5年。今の被災地はどうなっているのでしょうか。
 私は震災発生から2年5か月後の2013年8月に、会社の休暇を利用して、東北地方を旅した時に、子供たちにも大震災で被災した地域の様子を知ってほしいと思い、子供たちと3人で大きな被害を出した地域の一つ、宮城県仙台市若林区荒浜地区と、名取市閖上地区を見てきました。そこで見たものは私たちが思っていた以上に酷い惨状でした。基礎の部分だけを残して津波に押し流された住宅跡地や、多くの生徒が犠牲になった閖上中学校。そして、多くの高齢者の方が犠牲になった老人ホーム…。これらは、訪問してから2年7か月が過ぎた今も、私の脳裏に鮮明に焼き付いて離れません。この目の前に広がる現状を見た時に、私たちは言葉を失いました…。そして子供たちにとってはあまりにひどすぎる惨状に思わず涙が流れました…。
 私は震災当日は仕事中で、この未曽有の大災害が発生したことを知ったのは、地震発生から5時間後の午後7時半過ぎでした。それまで我が山口県地方にも、津波注意報が発令されていることすら伝えられず、帰宅途中のカーラジオで初めて、事の重大さを知った次第です。このような重大な大災害が発生しているのに、会社は何も知らせてくれなかった…。私の勤める会社は海沿いにあるのに、津波が来たらどうするのかというマニュアルさえも存在しなかった…。
 この大震災は、改めて巨大地震への備えを怠るなということと、津波への対策を常日頃から行っておくようにという教訓を我々に残したと思います。この前、東日本大震災を教訓とした避難訓練がありました。私たちの住む地域で最も懸念されている地震というと、南海トラフ巨大地震です。この地震が発生すると、おそらく山口県内にも大きな津波が押し寄せて来るものと思われますが、この避難訓練の時に指定された津波避難場所の高さは5メートルほど。これでは、とてもじゃないけど、従業員の安全は守れないな…避難訓練に参加してそう思った私です。
 
 この東日本大震災が発生した当初、「想定を超える強い揺れ」『想定を超える大津波』『想定を超える原発事故』など、想定外という言葉がよく使われましたが、私は想定外という言葉は、自然災害に対しては何の意味も持たないのではないかと思います。東日本大震災とほぼ同じ規模だったと思われている貞観地震では、ほぼ今回と同じ規模の津波が押し寄せたことが、地質調査で明らかになっていましたし、福島の原発事故にしても、巨大津波が押し寄せてきたら、外部電源がすべて喪失されるというのは、予測可能だったはずです。特に福島原発事故では、想定外という言葉は、電力会社の事故に対する言い逃れ・言い訳に過ぎないではないかという気がします。

被災地では、今もなお不自由な避難生活を強いられている人もたくさんいます。そして、今もなお、行方が分からない方も大勢いらっしゃいます。そして、大切な家族を失った方々もたくさんいらっしゃいます。このような辛い経験をされてきた方に、一日も早い平安な暮らしが送れる日が来ることを願ってやみません。そして亡くなられた多くの御霊に対して心よりご冥福をお祈りしますとともに、私は絶対にこの大震災を忘れないことを心に誓いたいと思います。