もう早いもので今年も12月に入りましたね。なんか11月もあっという間に過ぎ去っていったような気がします。
11月というと、私には実に忌まわしい過去があります。それは、昭和58年の11月の半ば、当時私は小学6年生で、クラスで激しいいじめを受けていた時でした。おなかや胸、背中や腕など、目に見えないところを殴る蹴る・頭をどつく、プロレス技をかけられるなどのいじめを受けていたほか、インフルエンザにかかって1週間ほど学校を休んで登校すると、「お前なんか死んでしまえばいいのに」などの暴言を吐き捨てられたり、クラブ活動で使う資料つくりのため持参していた鉄道写真集を破り捨てられたり、帰り際に思いっきり教室に引き込まされて、散々暴行を受けた上に、「お前なんか死ね」といわれて、それまで張りつめていた緊張の糸が切れて、「俺なんか死んだほうがましなんだ」と思い、体中の節々が痛む体を引きずって帰って、それでも塾があるので塾に行くと、ガラの悪い中学生に「お前は馬鹿なんやから風邪ひいてんのもわからんのやな。バカは死なんと治らんのやから、お前は死ななあかん人間なんや」など言われて、これで完全に心が折れてしまって、翌日、学校から家に帰ると、たまたま家に誰もいなくて、無意識のうちに台所に行って、包丁を取り出し、自分のおなかに包丁を突き付けて「もうこれで苦しまなくて済む。これで楽になれる」そう思いながら、包丁を振り上げて、自分のおなかに突き刺そうとしたとき、母が妹を保育園から連れて帰ってきて、私はあわてて包丁を元の場所に戻し、何事もなかったかのようにふるまっていましたが、何か私の様子がおかしいと感じ取ったのか、それからしばらくして両親が『山口に引っ越すことになったから』といいました。その理由を尋ねると、「お父さんの転勤が決まったから」ということでしたが、それは嘘であって、本当はいじめから逃れるためなんだっていうことは子供であった私にもはっきりとわかりました。そして3学期になって、1月の初めにクラスにこのことを伝えて、卒業式が終わってすぐに山口に引っ越してきました。
あの自分のおなかに包丁を突き付けていた時の感覚は、今でもはっきりと覚えています。その時は自分が死ぬかもしれないと思っていましたが、不思議と死ぬことに対して怖さは感じませんでした。楽になれるという思いのほうが強かったのかもしれませんね。
それともうひとつ11月にあった忌まわしい過去というと、2009年11月の終わり、元嫁との結婚生活が統一教会に関することで修復不可能な状態になって破たんし、離婚を決意して、そのことを元嫁の育ての親である小野田の叔母に伝えに行くために行ったんですが、離婚の意思を伝えると小野田の叔母は「あんたが来るとろくなことがない」と言われました。ろくなことがないって、ろくでもないことを今まで繰り返してきたのは元嫁であって、私は私なりにどうにか修復しようと必死で努力を積み重ねてきたにもかかわらず、まるで私だけが悪者扱いのような言われ方をして、ひどい仕打ちをされたことがあります。小野田の叔母は自分の息子がNHKの技術職として入局したことがたいそう自慢みたいで、「あれはちょっとやそっと頭がいいだけじゃ入れん。あんたみたいな仕事とは全然違う」ということまで言われました。私は自分がやっている自動車製造の仕事に誇りと自信を持っていましたし、「塗装の技術では負けてねーぞ」っていう自負もありましたが、それのすべてを否定されたような感じがして、実に後味の悪い思いをしたことがあります。このような忌まわしい過去があった11月も過ぎ去って、今日から師走。でも毎年11月が来るたびにあの悪夢を思い出してしまい、胸がチクチク痛む思いがする私です。