sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録結婚生活編

 2003年一月も最終番を迎えて、幼稚園では3学期に行なわれる劇遊戯発表会の練習にも熱が入るいころで、1月31日は予行練習が行なわれたようです。1月31日から2月2日までの書き込みをしようと思います。
1月31日と2月1日は元嫁が、2月2日は私が連絡帳への書き込みをしています。
1月31日
今日は予行練習本人也に頑張れましたでしょうか?お弁当はほとんどなくなっていたので、とても嬉しくなりました。またいっぱい食べてくれるお弁当を作りたいです。
 迎えに行くと真っ赤な顔をして元気に走ってきたので嬉しかったです。家に帰るとすぐに制服を着替えて、ばあちゃんが遊びに来てくれて一緒に大好きなドーナツを食べて、今日はおなかがすいたようで夕飯もすぐに食べました。元気そうです。
 お土産を貰って有難う・さようならがきちんといえて誉められていました。誉められてとても嬉しかったようです。
 
2月1日
午前中、セミナーパークに弟と3人で森林浴に行きました。坂を滑り台のように滑って、駆けずり回っていました。空気の綺麗なところで走り回ったので顔色も良好です。
 
このしてもらったことに対してお礼を言うのは私がしつけたものです。何しろ元嫁は息子に関してはできれば消し去ってしまいたい存在でしたからね。平気で死ねとか出て行けとか言うくらいですから。そして外面だけはすごくよくて、一見いいお母さんという感じを漂わせていますが、あくまでもそれは彼女の演技。裁判の調停の場では、私から化けの皮を全部はがされることになるとはこの当時はまだ全く思っていなかったのでしょう。
 
そして2月2日の私の書き込みは
2月2日
今日は息子と私の父と、私とで3月14日をもって現役を引退する戦前型の電車クモハ42と呼ばれる電車に乗りに行きました。次男は朝早かったのでお留守番でした
 山陽本線などを走っている電車はよく見慣れているのですが、チョコレート色の電車を見るのは初めてなので、興味津々に見たり、乗ったりしていました。父も息子とどういうアングルで写そうか、カメラの位置をあれこれ考えている様子でした。小野田の市街地のはずれを走るこの電車も息子の思い出の中に残ればいいなと思います。
 そして父の家に帰ってからは父は木工をしていたのですが、、息子もボンドで木と木をくっつけたり、定規で線を引くのを手伝ったり色々してましたんで、息子もじいちゃん・ばあちゃんに誉められてすごくご機嫌でした。
 
息子は私の史の影響を強く受けたようで、このころから電車が大好きでした。そして暇があるとよく近所の山陽本線の鉄橋にまで行って電車や貨物列車を眺めていました。次男はスポーツ大好きで、その点は元嫁に似たんでしょうね。小さい頃からとにかく身体を動かすことが好きでした。あの小さな体のどこにあれだけ身体を動かすエネルギーが隠れているんだろうと思うくらい元気に走り回っていて、同じ親から生まれてきた兄弟ですが、趣味はまったく違うものになりました。
そんな様子を毎日見ている先生からの返事です
2月3日
今週もいい体験ができたようですね。息子さんは皆に愛されてのびのびと楽しい休日が送られて幸せですね。園でも息子さんらしく、のびのびと楽しく生活できるように援助していきたいと思います。
 今日はおもちゃをバラバラ~とすることもなく、お片づけもできてとても折り公でした。給食当番としてお友達にお弁当箱を配ることもできました。
 
2月4日
今日もとても落着いて一日を過ごすことができましたおもちゃをバラバラ~としていたころが嘘のようです。今日の昼食、すごくいっぱい食べて「まだいるー。おなかすいたー」と息子さんにしては珍しく訴えていたので、こっそり私のお肉もあげちゃいました。すいません。
 
とあります。年中になったころは幼稚園の教室にあるおもちゃを全部引っ張り出してはバラバラ~としていたんですが、先生の易しい語指導のおかげで出したら片付けるということが習慣づいてきたころです。しかし、このあと、元嫁がほんの少し目を息子から離した隙にとんでもないことが起こるのでした。