sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

元嫁に私が伝えたこと

 宗教に狂って家庭をメチャクチャにして崩壊させてしまった元嫁。そんな元嫁に対して私は伝えたことがあります。それは人生とは一体どういうものなのか。人生の終わりに笑ってあの世に旅立って行くには、どういうことをしなければならないのか、私なりの考えを伝えました。
 それは、人生というのは、キャッチャーめがけてボールを投げ続けるピッチャーだということ。
 この世に生を受けて人生がスタートする・主審がプレイボールをかけて人生という名の試合が始まる。そしてその試合は自分が命尽きてあの世に旅立って行くまで続く試合だと。
 ボールを投げ続けていれば、調子よくあいてバッターを打ち取ることが続き時もあるでしょうし、逆にストライクが全然入らず、フォアボールを連発して大ピンチを迎えることだってあるでしょうし、ヒットをボコボコに打たれて大量失点することだってあるでしょう。時にはとても手ごわいホームランバッターを迎えることだってあるでしょう。そしてホームランを打たれることだってあると思います。ただ、そんなときでも、自分が今出せる全力をつくしたボールを投げて打たれたのか、それとも「またどうせ打たれるんじゃから、適当に投げとけばいいや」といういい加減な気持ちで投げたボールを打たれたのか、結果は同じでも、その意味が大きく違ってくると。
 いい加減な投球ばかりをしていてボコボコニヒットを打たれてそれでチームメイトや監督・ファンから信頼してもらえるか?信頼してもらいたいのであれば、常に全力で勝負してみろと。
 そして全力投球したボールを打たれて仕方ないで済ませてはいけない。なんで打たれたのか、球速をもっと抑えてタイミングを外せばよかったのか、もっと早いボールを投げればよかったのか、コースはインコースに投げればよかったのか、アウトコースに投げればよかったのか・思い切って真ん中に投げればよかったのか・高さは低めに投げればよかったのか、高めに投げればよかったのか・思い切って真ん中に投げればよかったのか、球種はストレート勝負がよかったのか、スライダー・カーブ・フォークなどの変化球を投げればよかったのか、そういった対策を練り直していけば次に対戦したときは相手バッターを三振させることだってできると。人生というのはその繰り返しなんだと。
 ただ、普通の野球の試合の人生という名の野球の試合は2つ大きく違うところがあると。それは何かわかるかと聞くと元嫁は「????」まるっきりわかっていないようでした。普通の野球の試合と人生という野球の試合の大きく違う点、それはまず自分が投げた人生という名の野球の試合で、自分は勝ったのか負けたのか自分自身にはわからないということ。勝ったか負けたかを決めるのはあとに残された人たちが決めること。それともう一つ違う点は自分にオほかに自分の人生という名の試合で投げてくれるピッチャーはいないということ。私の人生は私だけしか投げるピッチャーはいませんし、元嫁の人生では元嫁以外にボールを投げるピッチャーはいません。すなわち自分がやったことの始末は全部自分でしなければいけないということです。
 自分がこの試合で勝ちたいと思うのであれば何をしなければいけないか、どういうことをしてはいけないのか、自分の目でしっかり見極めることが大切なんだと。自分が勝ち投手のままで人生を終えたいのであれば、自分が言ったこと・やったことに対して生じた結果には全責任をとるように。それができないのであれば、どうしたらいいのか自分自身で考えるように。
 お前が今やっていることは自分のピッチングの実力が無いくせに、ボロボロにヒットを打たれて、大量失点するのは、キャッチャーのリードが悪いから・審判の判定が悪いから・周りの守備についているチームメイトが悪いから・監督の采配が悪いからなどすべて他人のせいにしているんだということ。素直に自分の実力がないというのを認めて、どうしたらいいか周りの皆や監督に素直に教えをこうというのを全くしないから、誰もお前のことを信用しないし、信頼もされないんだということを伝えました。そしたら元嫁は「フン・何をえらそうに言ってんの?ばっかじゃないの?私にはたくさん友達もいるし、信頼もされてるわよ」そう高慢な言葉を残していましたが、みんな一人二人、葉が欠けるようにいなくなっていきました。たぶん元嫁は人生という名の野球の試合では負け投手になるんだろうなぁ~。私はそう思います。
 私は人生というのを野球にたとえて話して伝えたんですが、結局は何も伝わっていなくて、最後に待っていたのは離婚でした。こういう人種には色々な教訓や経験談を話しても無駄なんでしょうね。